現代の早駕籠(かご)に乗って 大坂→江戸
ゴールデンウィークは東京です。いつもは少しあこがれを持って通り過ぎる新幹線改札口ですが、今日は改札口に切符を通し旅の人となると高揚感を感じるものです。エスカレーターは右に並ぼうか左にしようか一瞬戸惑うように、大阪人が東へ向かうとなると、わが天下でない異国に向かう覚悟というようなものを意識してしまいます。
「のぞみ」が関ケ原あたりにかかると、天下分け目の決戦でもし石田三成率いる西軍が勝っていたら…?などと思いを巡らせてしまいます。大げさですが、関西人として決して東京に負けへんぞなどと、あまり意味のない力みが肩に入ってしまうのでして、アホみたいです。心の中で関西自慢が始まります。天皇家も元々は関西やし、大化の改新は難波の宮やったんやし、歴史の深さがちがうわ!家康も秀吉の家臣やったわけやし、関西の文化が日本の文化の代表なんで、関西弁で通したろ、という具合です。こんなことを考えるのは関西人だけでしようね。
岐阜あたりから少し形勢が変わってきます。このあたりで織田信長が生まれ、名古屋駅付近で日吉丸が生まれたんやなあ。そうか秀吉は関西人ではなかったんや。しばらく走ると松平竹千代が生まれた三河の国です。ここから先は徳川家康の出世物語が並びます。浜松、静岡、掛川、小田原を過ぎ江戸東京に至るのです。もう秀吉の影は少しもありません。
東京駅を皇居方面に歩くとすぐに江戸城の敷地で、すべてを徳川家康が造ったと思えば、なんとよくやった!と感動です。秀吉は家康の力を恐れて本国の三河、駿河を取り上げ、遠国の江戸の沼地に領地を与えました。土民上がりの秀吉にいいように扱われる誇り高い家康の屈辱はどんなだったでしょうか。
しかしそんな仕打ちを見返すように黙々と土地を開墾し、沼地を埋め立て、河川を付け替え、水道を整備して人が住める環境をひろげていったという計画性がすごいのです。大阪人としては少し悔しさの残る関ケ原の戦い、大坂夏の陣のあと、この徳川幕府が260年の平和をもたらし、明治になっても受け継がれる整然とした官僚システムを構築し、おかげで日本らしい文化の華が開き、今や東京は世界の人たちのあこがれの都市にまで成長しました、その基盤を築いたことを思うと、家康の偉業の大きさに脱帽せざるを得ません。信長、秀吉、家康の時代は大河ドラマの中でも人気の高い時代となっています。
豊臣恩顧の大名、三成を嫌う大名、徳川につきたい大名、日和見の大名、そこで様々な選択がドラマになります。身の程知らずですが、もし私がその渦中にいたらどういう選択をしただろうと夢想することがあるのです。選択を誤れば一族郎党破滅です。恩義ある豊臣家の淀君と子の秀頼様、野心を隠して今は忠義顔をしている徳川様、さあどちらを選ぶ?。
三成の忠義心にも応えたいが、実力は徳川様、さあどっち?悩んだ末の答えはこうです。「豊臣政権は秀吉の天才性で成立したが、あの天才は子孫に受け継がれないのではないか。三成の指導性には頼りなさを感じる。家康の野心は見え見えだが地道に力を蓄えている。どうもシステムの点で長続きするのは徳川ではないか。」という打算で徳川を選んだのではではないかと思うのです。「どうする家康」で彼の功績がこれからどんどんクローズアップされてくるはずですが、泰平の世を築いたその一点で彼の功績は十分な評価に値します。おかげで江戸文化、大坂文化が花開き、外国の侵略を許しませんでした。
いつもこんなことを考えながら横浜、品川、新橋、有楽町を通過です。さあ晴れの東京表です。エスカレーターは左に並びます。
コロナが明けて街に出ますと外国人観光客の多いのにはびっくりします。ヨーロッパでの「行きたい国ランキング」調査で圧倒的に日本が一番なのだそうです。来日した人たちは口々に清潔さ、正確さ、治安、先進文化、歴史、やさしさ、礼儀正しさ、食べ物のおいしさをほめたたえます。本当に誇らしいことです。しかしこれらは一朝一夕で出来たわけではありません。長い歴史の上に形成された文化の一端です。そんな日本文化の基盤を築いた家康に頭が下がります。